絵本 |
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□ 題名 | Oじいさんのチェロ | |||||||
□ 作 | ジェーン カトラー | ||||||||
□ 絵 | グレッグ コーチ | ||||||||
□ 訳 | タケカワ ユキヒデ | ||||||||
□ 発行 | あかね書房 / 2001年2月 | ||||||||
□ サイズ | 28 x 21cm・32ページ | ||||||||
先日(2011年7月)、「世界報道写真展2011」に行ってきました。 そこで「あっ!」と思って、足を止めて見入ってしまった写真がありました。 それは、 「コンゴ民主共和国のキンシャサでチェロの練習をするジョセフィーヌ」 (アンドリュー・マコネル撮影) というタイトルの1枚です。 その写真を見つめながら私は、「Oじいさんのチェロ」を思い浮かべていました。 「Oじいさんのチェロ」は、戦争に巻き込まれた街で起こった話です。 ごくごく簡単に物語を紹介しますと、爆弾が飛んでくる街の広場のまん中で「Oじいさん」がチェロを弾く、というお話。 けれども物語は、登場する少女の1人称の文章で語られているために、「Oじいさん」が、なぜ広場でチェロを弾き始めたのか、自身の言葉や思いとしては、はっきりと書かれていません。 でも作者は、その部分を読者に考えてもらいたかったのだろうと思います。 それが、平和を考えることにつながる事だから。 絵本を見ていない人ても「爆弾が飛んでくる広場でチェロを弾く」と聞いただけで、おそらく様々な思いが湧き上がってきたはずです。 「Oじいさん」がチェロを弾いたのは、 平和への祈り、戦争への抗議、街の人々のための癒し、 武器を持たない戦い…… けれども写真展で「コンゴ民主共和国のキンシャサでチェロの練習をするジョセフィーヌ」に出会って、今まで感じていなかった一つの思いが加わりました。 コンゴ民主共和国は、2006年の民主的選挙を経て、以前に比べれば良い状況になってきたとはいえ、その後も部族間抗争は止むことなく、今年2月には大統領公邸と軍施設が武装集団に襲撃される事件が発生するなど、まだまだ社会的に不安定な状況が続いているようです。 この国の首都キンシャサで、チェロの練習をしている写真の中の女性は、街中から薄っぺらなトタン板1枚で仕切られた内側にいました。 俯瞰で捉えたその写真の光景は、すべてがキンシャサの街であることは疑いなく、合成でも2枚の写真を張り合わせたものでもありません。 しかし、家の塀だと思われる粗末なトタン板の内側と外側には、まったく違う世界がありました。 写し出されている物や色には、内側も外側も、ほとんど変化はありません。 それにもかかわらず…… 輝いていました! もちろん、トタン板の内側です。 おそらくチェロを弾いている間だけは、満ち足りた思いに浸ることができる「ジョセフィーヌ」…… この目に見えない思いが輝きとなって、様々なことを訴えかけてきます。 しかし最初、この写真を見た時には、「ジョセフィーヌ」と「Oじいさん」は違うと思いました。 意思を持って広場のまん中に行った「Oじいさん」と、写真になったことによって第三者に対し意味を放つことになった「ジョセフィーヌ」のチェロの練習。 けれどもしばらくするうちに、2人が重なってきました。 「Oじいさん」も、他人の癒しや抗議や戦いのためだけでなく、自分のためにもチェロを弾いていたのではないかと思うのです。 トタン板の内側にいる「ジョセフィーヌ」と同じように。 そう思うと、ラストページ前の見開きの左ページに描かれた絵が……「Oじいさん」の表情が……今まで以上に奥深いものとなって体に染み込んでくるような気がするのです。
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題名:Oじいさんのチェロ |
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