単行本 |
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□ 題 名 | 手のひらの記憶 | |||||||
□ 著 者 | はやの 志保 | |||||||
□ 発 行 | 結書房 / 2007年8月 | |||||||
□ サイズ | 18.6 x 13cm・211ページ | |||||||
タイトルにある「記憶」とは、コンピューターならば、ただ物を積み重ねるように情報を蓄えるということになるだろう。 けれども人の場合は、忘れまいとする意思が働く。 そうでない時には、忘れようとしても忘れることができないものとなって、体の深部に刻み込まれる。 このような記憶は、後日、喜びを与えてくれる音楽になることもあれば、時には自身を傷つける刃(やいば)になる時もある。 後者の場合であっても、この記憶は、スイッチ一つで削除をするように忘れ去ることはできない。 自身の体の中に危うい刃をとどめたままで、傷つきながら生きていくことを強いられる。 「手のひらの記憶」は、そんな記憶を抱えた女性と、著者であるその娘によって紡ぎ出されたドキュメンタリーだ。 危うい刃は、戦争の記憶であり、他人に知らされることなく、永遠に母親の体内深くにしまいこまれ続けるはずのものだった。 それが何故、私たちの目に触れることのできる「本」という形になったのか。 それは、戦争で起こった出来事を記録として残し世に問うということであり、また本文中にあるように、自分たちが「どんな命のつながりから生まれてきたか」を知りたいということだったのだと思う。 けれども、本を閉じた後に感じたことが、もう一つあった。 母親の体の奥深くに隠されていた、むき出しの刃を、何とかして鞘(さや)に収める作業だったのではないかということだ。 その作業には、著者だけではなく、もちろん母親本人も、2人を取巻く家族も携わったのではないだろうか。 記憶を消し去ることはできない。けれども、刃で体を傷つけることを和らげることはできるのではないかと思う。 そう考えると「手のひらの記憶」は、過去の記録ということだけではなく、「本」にするための過程をも含めた、現在の著者たち家族の物語でもあるはずだ。 読後に戦争について考えさせられるだけでなく、なぜかホッと暖かさを感じたのは、そのためなのかもしれない。 |
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題名:手のひらの記憶 |
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