絵本 |
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□ 題名 | ソフィは とっても おこったの! | ||||||||
□ 作 | モリー・バング | ||||||||
□ 訳 | おがわ ひとみ | ||||||||
□ 発行 | 評論社 / 2002年1月 | ||||||||
□ サイズ | 25.3 x 22.7cm・34ページ | ||||||||
ソフィが怒ったって、何の不思議もありません。 怒ることは、夜に眠るように、お腹がすいたらご飯を食べるように、おかしい時には笑うように自然のことなのですから。 だから、ソフィが怒ったからって、ソフィが悪い子だなんてことはありません。 ただ「怒り」は、うまく収めないと、自分にとっても周りの人にとっても、とても危険な状況を作り出してしまうことがあります。 ですから、自分の「怒り」を静めるための方法を身に付けておくことが大切です。 ソフィの場合は、年をとった大きなブナの木に登って海をながめることが、その方法だったようです。 この木上のシーンが絶品です。 見開きページが3つ続くのですが、絵本をながめているだけで落ち着いてきます。 そしてしばらくすると、伝わってくるものが、あまりにも心地よいために、気持ちが高揚してきます。 ブナの木のたくましい太さや、ぬくもりのある肌触り、風のやわらかさや、木の葉のざわめき、ゆるやかに運ばれてくる海のにおいや、波の音…… う〜〜〜ん、き・も・ち・い〜! これだけで、この絵本をながめてみる価値は、十分すぎるほどあります。 けれども、もう一つ、おもしろいことを見つけてしまいました。 結末を明かしてしまいますが、ご勘弁ください。 ソフィは、ブナの木から下りて、生まれ変わったような感じで家に戻ってきます。 そして、家族全員が描かれた見開きのページでは、ソフィと妹が、それぞれ母親と父親に抱きかかえられながら、ジグソーパズルをしていています。 ソフィと妹は、共に1ピースを手に持っていて、それをはめ込めばジクソーパズルは完成するようです。 「すべて また もとどおり」と書かれた文章に、うなずいてしまいます。 けれども、このシーンがラストではありません。 ページをめくると、ソフィが大きな絵を描いています。 文章は、「ソフィは もう おこったり しないの」です。 ちょいと、この一文に違和感を持ってしまいました。 最初に書いたように、怒ることは悪いことではないし、ソフィは、絶対にまた怒るだろうし、それだからまた、ブナの木に登るだろうし……ですから、この終わり方は、なんだかウソくさいな〜と思ったのです。 それで、また何度か絵本をながめなおしました。 そして納得したのです。 ラストの前のジグソーパズルのページです。 ジグソーパズルは、ソフィと妹が持っていた1ピースずつをはめ込んでも完成はしなかったのです。 あと1ピース、はめ込まれていない部分があります。 その1ピースは、ネコの前足で遊ばれていました。 やっぱりソフィは、また怒るのです。 ただし、「ソフィは もう おこったり しないの」は、この日、ソフィが怒ったことでは、もう二度と「ソフィは もう おこったり しないの」なのかもしれません。 こんなことを、ラストのページでソフィが描いている絵と、ゴロゴロしているネコの姿を見ながら思いました。 みなさんは、どんなことを思うのでしょうか? とにかく、絵本をながめてみてくださいね。 |
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題名:ソフィは とっても おこったの! |
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