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  メルマガ などで 書いたこと 1
■  も く じ (項目をクリックするとジャンプします)                      
 9. 戦争に反対です! 10. 「はなのすきなうし」に関する話

 7. 思い出の童話 (ムスティクのぼうけん)

 8. よみっこした絵本「かぜのこ ふう」

 5. スズキコージ講演会レポート  6. 富安陽子 講演会の感想

 3. わたぼうし語り部コンクール(第10

 4. オオカミが悪役になったわけ

 1. にゃーごの会 (この本だいすきの会)  2. いわさきちひろと日本の絵本画家たち展

メルマガなどで書いたこと2 ▲


2003/4/3 (MM)

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   「はなのすきなうし」に関する話

 

 
 題 名 はなのすきなうし
  マンロー・リーフ
  ロバート・ローソン
  光吉 夏弥
 発 行 岩波書店 / 1954年12月
 原書発行 米国 / 1936年
 サイズ 20.5 x 16.5cm・70ページ
 ISBN 4001151111

 どうしても、今現実に起こっている戦争が、読む絵本に影響を与えることが多くなります。
 「はなのすきなうし」が、そうでした。
 これは、例えば悲しい時に、それまでなんとも思っていなかった絵本を読んでみたら、とても癒されて忘れられないものになったということと同じことです。
 今の状況だからこそ、内容がいつもと違う方向から迫ってくる絵本もあると思います。

 「はなのすきなうし」は、1936年に発行されているのですが、この年にはスペイン内乱が始まっています。また、ベルリンオリンピックが開催された年でもあり、ヒットラーの動きが活発になっていった時期です。

 これはもしやと思い、少し調べてみました。
 マンロー・リーフさんは、「『ふぇるじなんど』が花の匂いをかいで戦わないのは、よい趣味をもち、またすぐれた個性に恵まれていたからだ」 と言っていたようです。
 それに「はなのすきなうし」は、表紙や扉に描かれた牛の表情や姿などが、やけにユーモラスです。また「ふぇるじなんど」が、座って花のにおいをかいでいるのは、コルクの木の下なのですが、この絵本は、コルクの木に実るはずのないワインの栓が、たわわに実っているような楽しい絵本でもあるのです。

 しかしそれでも、「はなのすきなうし」は、現在起こっている戦争に対して、いろいろなことを訴えかけてくれる絵本だと思います。

□「はなのすきなうし」紹介  

 

2003/3/22 (MM)

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   戦争に反対です!

 

 今回の米、英のイラク攻撃が始まった時に、思い出したことがあります。

 南米のペルーを旅していた時のことです。
 私は、ペルー側のアマゾン川を見に行こうと思い、アマゾン川の支流にある街から船に乗り込んでイキトスという街を目指していました。
 その船は、人も運んでくれますが荷物運搬用の船です。
 1週間くらいの船旅でしたが、乗客は、ふきっさらしの、だだっ広いスペースに勝手にハンモックを吊り下げて、自分のスペースを確保して寝起きをしていました。

 この移動の最中に、軍の検問が何度かあったのです。
 アマゾン川流域のジャングル地帯は、ゲリラ活動を行う人たちの潜伏場所になっていたということもあります。
 けれども検問の時に会う兵士たちは、重量感のある機関銃などを手にしてはいるものの、リラックスをしてくつろいでいる雰囲気しか感じることはできませんでした。
 時には笑顔まで浮かべて話しかけてくる人や、なにやらいいかげんな態度をあらわにしている兵士もいます。
 そのために私は、ほとんど危機感を持ったことはなかったのですが、たった1度だけ恐いと感じたことがありました。

 それは、十代半ばに見える少年のような兵士に会った時です。
 (そのくらいの年齢に見えただけです。徴兵が何歳からなのか分かりませんが、一番若い兵士だったのだと思います)
 無駄口をたたかずに、てきぱきと動く童顔の彼は、まさに子どものようにキラキラとした目をしていたのです。
 彼は、その目を私に向けて話かけてきました。
 へんな奴がいるとは思っていたのでしょうが、私が外国人だということがはっきりと分かると、ほんの少しだけ戸惑いの表情を表しました。
 けれどもそれは一瞬のことで、すぐに精一杯の威厳を保ちつつ、パスポートを出すようにと命じてきたのです。

 私はこの時に、恐さを感じていました。
 童顔の彼のキラキラした目と、まったく不釣合いな機関銃。
 その目は、よみっこをしている時、絵本を見入っている子どもたちの目と同じように輝いています。
 そんな目をした少年が、機関銃を手にして、上司の命令に忠実に従って動いているのです。
 私は、彼が上司から「殺せ!」と言われたなら、彼は、ためらわずに機関銃の引き金を引くのではないかと思っていました。

 もちろんその時は、そんな状況ではなく、パスポートのチェックをしておしまいです。
 ただ、少年のように見える彼が、人を殺す可能性のある軍隊に所属して、機関銃を持ち、何の迷いもないようなキラキラした目をして働いているということに恐さを感じていました。

 後日、他の国を旅していた時に聞いた話があります。
 紛争地などでは、少年は洗脳しやすい上に逃げることも少なく、危険なこともさせやすいので兵士にするのだということでした。

 今回の戦争で、いろいろな形で、数多くの子どもたちが犠牲になるのは確実です。

 私たちは、このような時に何をするべきなのでしょうか。
 私は、戦争はしてはいけないと確信することが、スタートだと思っています。
 これは、確実な一歩だと思います。
 日頃政治に興味がなければ、戦争推進者の詭弁に打ち負かされて翻弄されてしまうかもしれません。
 けれどもその時に、「戦争はしてはいけない」という思いに立ち返ることができるかどうかということは非常に重要なことなのです。

 先月、「チョムスキー 9.11 Power and Terror」という映画を見てきました。
 この映画は、ベトナム戦争以来、米国の外交政策を批判し続けている米国の学者、ノーム・チョムスキーのインタビューと講演活動を中心に記録したものです。
 この映画の中で、印象に残っている場面があります。
 講演に参加した学生が、チョムスキーに質問します。
 「社会を変革するには、人生をかけなければいけないのでしょうか?」
 チョムスキーは、一言だけ答えました。
 「それは、あなたしだいです」

□WORLD PEACE NOW
 もう戦争はいらない〜わたしたちはイラク攻撃に反対します〜  

□良心的軍事拒否国家日本実現の会  

□異分子(仮) チョムスキー・アーカイヴ日本語版  

□「チョムスキー 9.11 Powerand Terror」  

 

2003/3/3 (MM)

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   よみっこした絵本「かぜのこ ふう」

 

 題 名 かぜのこ ふう
  しがみね くみこ
  まつい じゅんこ
 制 作 Love SAP  / 2002年12月完成
 サイズ 26 x 19cm・30ページ
 ISBN ナシ

 この絵本を制作した Love SAP(Love Smile And Picture book)は、ボランティアグループです。なかなか絵本を手にする機会のない世界の子どもたちに、手作りの絵本を送る活動などをしています。
 文を書いた「しがみね くみこ」さんは、ML「読み聞かせをしてみよう!」にも参加してくれています。
 そして今回よみっこした「かぜのこ ふう」は、モンゴルの子どもたちに送った絵本の日本語版です。

 モンゴル語版では、タイトルの「ふう」の部分が「セウセウ」という発音になったそうです。
 「ふう」は、絵本の中に登場する風の子どもの名前です。風の吹く音をイメージして名付けられたものだと思いますが、モンゴルでは、風が吹く音は「セウセウ」と言い表すそうです。
 言葉は、不思議です。同じ風の音なのに、聞き馴染みのない「セウセウ」という文字を読んだけでワクワクしてきます。モンゴルに吹く「セウセウ」とは、どんな風なんだろうと思い、すぐにでも「セウセウ」を体験したくなります。そして広大な草原地帯のモンゴルには、きっと「セウセウ」だけでなく、たくさんのいろいろな風が吹いているのだろうなと思うのです。
 そんな風の中で育った子どもたちも、日本の風を思いながら、送られてきた絵本を楽しんでいるのかもしれません。

 今回は、「かぜのこ ふう」の内容に関する説明はしませんが、以下の「Love SAP」のサイト内で全文を紹介していますので、ご覧になってください。
 また、ボランティアの活動資金のために、絵本やポストカードの販売もおこなっています。

□「Love SAP」のホームページ  

 

2003/2/17 (MM)

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  ■ 思い出の童話 ムスティクのぼうけん

 

 題 名 ムスティクのぼうけん
 作・絵 ポール=ギュット
  塚原 亮一
 発 行 学習研究社 / 1966年1月
 原書発行 フランス(本書は以下の2編を収録)
・ムスティク砂ばくへいく・1958年
・ムスティク月へいく・1963年
 サイズ 22.9 x 20cm・162ページ
 ISBN ナシ〔絶版〕

 私は小学生のころ、ほとんど本を読まない子どもでした。そんな私が、数えきれないくらい、くり返し、くり返し読んだ本が「ムスティクのぼうけん」です。おそらく、2、3年生のころから読み始めて、中学生になってからも何度か読んだと思います。ひところは、暇さえあればページをめくっていたような記憶もある
ので、少なくとも50回くらいは読んでいるはずです。

 この「ムスティクのぼうけん」が、図書館の保存庫にあることを知って借りてきました。

 図書館のカウンターで本を受け取る時は、けっこう緊張して、ドキドキどころかバックン、バックンという感じでした。初恋の人に再会するようなものです。
 表紙を見た時は、古い本だから色あせているなと思ったのですが、本を手にして、すぐに気が付きました。カバーが付いていなかったのです。表紙とカバーのデザインは同じなのですが、カバーには青を基調にした鮮やかな色が使われていたはずなのです。
 家に帰って、改めてゆっくりと表紙と裏表紙を眺め、なぜか表紙をさすってから本を開きました。
 不思議なことに、なつかしいという感じはしませんでした。表紙や見返しに描かれている絵は、今でも見慣れた感じがするのです。絵を見ただけでワクワクしてきたことも、当時と同じでした。

 内容に関しても同じです。み〜んな覚えています。けれども、それぞれの場面をどんな気持ちで読んでいたかということは、けっこう忘れていたようです。読み進めながら、物語を楽しむと同時に、当時の自分の気持ちに久しぶりに出会ったことで、たまらなくなつかしくなりました。

 「ムスティクのぼうけん」は、「ムスティク砂ばくへいく」と「ムスティク月へいく」という2つの物語が収められているものです。
 両方とも大好きだったのですが、ムスティクという少年がサハラ砂漠を目指す「砂ばくへいく」は、当時からリアルな思い入れがあったことを思い出しました。本を読みながら「ぜったいに行こう!」と思っていたのです。
 そして、マルセイユという土地の名前に、めまいがするくらいの憧れを抱いていたことも思い出しました。フランス人のムスティクが、アフリカ大陸を目指して船に乗った場所が、マルセイユでした。
 私は、チョコレートより、イチゴケーキより、シュークリームより、なによりも甘くてとろけそうなものが、マルセイユという地名の響きの中に詰まっているような気がしていたのです。

 私は、いつの間にか「ムスティクのぼうけん」のことを、まったく忘れてしまっていました。しかし、サハラ砂漠へ行くことはできたのです。砂漠への思いだけは、体の隅に残っていたのかもしれません。
 ルートは、憧れだったフランスのマルセイユからではなくスペインからでした。到着した場所はモロッコでしたが、ムスティクと同じアルジェではなくタンジェという土地です。
 けれども、ジブラルタル海峡を渡っている時、焦がれていたアフリカの地に立つことができるという気持ちが高まって、私の体がポッポと熱くなっていたことは、ムスティクと同じだったのではないかと思うのです。
―――――――――――――――――――・―――・―・
 この本は、絶版になっています。また、学習研究社に問い合わせてみたところ、復刊の予定はないそうです。
 読んでみたいと思った人がいましたら、図書館で調べてみてくださいね。

 

2003/2/ 2  (MM)

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   安陽子 講演会の感

 

 「不思議へと続く道」と題された富安さんの講演会は、「この本だいすきの会」が、昨年(平成14年)末に開催した「年の暮れ集会」の中のイベントの一つとして行われ、会場内は満員で終始大盛況でした。
 その講演会で、私が感じたことを紹介します。

―――――――――――――――――――・―――・―・

 驚いたことに、美しい顔立ちの富安陽子さんは、歌手の谷村新司さんに似ていた。

 富安さんは、「父親が大ぼら吹きで、自分はその血を受け継いでいる」ということを言っていた。けれども富安さん自身は、ほら吹きと言うよりサギ師のにおいをただよわせている。
 物事を大げさに言って、どちらかというと自分で楽しんでいる感じのするほら吹きじゃない。人をうまくだまくらかしてお金を巻き上げたりするペテン師だ。
 けれども、うさんくさくて近寄りたくはないというような危険なにおいはしない。ほのかに甘くて、ついつい引き寄せられてワクワクしてしまうにおいだ。

 一流のサギ師の被害にあった人たちの中には、だまされたと分かった後でも、そのサギ師を恨むことがない人もいるという。思うに、そのようなサギ師は、金品を巻き上げるという表の目的と共に、だまくらかすこと自体をこの上なく愛しているのではないだろうか。
 サギ師は、他人をだますことによって、快楽をともなったコミュニケーションをしているのかもしれない。

 講演会の楽しみは、話の内容だけではない。生身の講演者に会って普段の顔を垣間見るという楽しみもある。けれども富安さんの講演会を聞き終わった後、普段の顔を垣間見たという感じはしなかった。
 それは富安さんに、講演会で自分の本当の顔を他人に見せたくはないという印象があったからではない。
 まるで、芸人の話芸を見ているような感じだったからだ。ネタの振り方、話の進め方、間の取り方、会話のセリフの入れ方、などなど、みんな完成されている。聞いていて気持ちがいい。
 いろいろな講演会で、同じ話をしているということもあるかもしれない。何度も何度も話しているうちに、内容は練られるし、話し方も洗練されてくる。
 私を含めて講演会場にいた聞き手は、サギ師に手玉に取られたように盛り上がって楽しんだ。

 もし、サギ師が講演者となったならば、話すべきことを上手に語って終わりにはならないだろう。サギ師の講演者が満足を得るためには、聞き手の的確な反応が絶対的に必要になる。
 富安さんの講演会も同じはずだ。
 あくまでも憶測だけれど、富安さんは、話の内容を伝えるだけではなく、来場した人たちを意のままに楽しませようという心積もりがあるような気がする。
 それは、富安さんのサービス精神でもあるのだろう。
 だから聞き手は、楽しむことができる。富安さんの別の講演会に行った時に、例え、話が同じ内容であったとしても、おそらく違った楽しさを味わうことができるはずだ。

 こんな印象を持ったのは、人をだまくらかすことに無上の喜びを感じているであろう富安さんが、本を書くときだけではなく、講演会でも同じような意識で聞き手を楽しませようとしているからではないだろうか。
 私は、たったの二、三度だったけれど、富安さんの、とてもうれしくて押し殺せずに、こぼれてきたような美しい含み笑いを忘れることができない。

 富安さんと同じように、とてもやわらかな関西の語り口と、サギ師のような雰囲気を持った話し手を、私はもう一人知っている。
 それが、谷村新司さんだったのだ。

  

2002/12/18  (ML)

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     ■ スズキコージ講演会レポート

 

 メキシコ帰りのスズキコージは、ジプシー音楽に乗って登場した。
 顔には魔除けにもなりそうなお面をつけ、メキシコのチャウパス州で買ったという麦わら帽子のようなものをかぶり、手足には現地で家畜にでもつけていたと思われる鈴をたくさんつけ、背中に自らペインティングをしたのであろう極彩色の木製リュックを背負い、手には同じようにペインティングがされたトラメガ(拡声器)を持ち、訳のわからぬことを叫び、なんだかわからない旗を振り回し、ジプシーから買ったというラッパを鳴らして、舞台上を駆け回る。

 しばらくして、そのままの姿で、舞台中央に置かれていたパイプイスに座って話し始めた。さすがに、顔がお面で覆われていては話し辛いのだろう。話は中断されて、身に着けていたものを取り外して客席に回し始めた。加えて、テーブルに用意をしてあった民族楽器なども客席に回している。
 舞台上には、白髪混じりの髪の毛と髭をはやしたスズキコージが立っていた。オレンジのトレーナーと少しぶかぶかのカーゴパンツに白いスニーカーをはいたおっちゃんだ。
 けれど、このおっちゃんは、ただものではない。衣装をとっても、雰囲気は変わらない。衣装をとったからといって、最初の激しい印象が、しおれてしまうようなことは最後までなかった。

 お面やトラメガは、スズキコージが変身をするためのモノではない。水に水を足しても水であることに変わりはないのと同じことだ。スズキコージに吸い寄せられたモノたちは、モノとしての役目を忘れて、すべてがスズキコージ色に染まってしまうのだろう。お面をつけていた時から、スズキコージはスズキコージのままだった。
 講演会自体がそうだ。
 会場内には、客席に回された楽器の音が終始、ピーピー、カチカチ、パフッパフッ、ガラガラなどと聞こえてくる。通常の講演会なら、観客を引き込むための演出としては最悪だ。しかしスズキコージの講演会では、それらの音が心地いい。講演会とは名ばかりのライブだからなのかもしれない。

 お面をとったスズキコージは、自作の「魔法使いのカギ鼻」を自分の鼻につけて話を進めていった。
 クライマックスは、舞台上でのペインティングだ。
 ジプシー音楽が再び鳴り響く。畳1枚をふた回り大きくしたくらいの真っ白な用紙に、筆と絵の具でクシャクシャっと何かが描き込まれていく。時おり、トラメガを手にして歌う。音楽に合わせて踊る。旗を持って走る。
 制作途中に用紙に書き込まれた文字が「GYPSY BIRD」。
 カックイー!

 残念ながら「GYPSY BIRD」は、途中で切り上げられたようだ。あのスズキコージの世界を、短時間で出現させることには無理がある。
 スズキコージは言った。
「この辺で止めると、長新太。これから手を加えていって『やめてくれ〜!』というくらいになるとボクの絵になる」
 文字にしてしまうとわからないけれど、もちろん長新太に対してはリスペクトのある言い様だった。

 ここでスズキコージの言葉をたくさん紹介しない方がいいと思う。やはり現場でスズキコージワールドを体感しながら聞いて欲しい。
 それが、「生き生きしているものが好き。剥製は嫌い。ああいうふうにはされたくない」というスズキコージの気持ちであるような気がする。 (敬称略)

 

2002/11/12  (MM)

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     ■ オオカミが悪役になったわけ

 

 オオカミは、絵本や童話の中で悪役になることが多いですね。
 「さんびきのこぶた」や「あかずきん」に出てくるオオカミなんて、とんでもないヤツです。
 でもなぜ、悪役のイメージが定着して憎まれ役になっているのかなと思って、少しだけオオカミについて調べてみました。

―――――――――――――――――――・―――・―・

 オオカミは、以前は世界のかなり広い地域で生息していましたが、現在では多くの地域で絶滅してしまっています。けれどもオオカミは、環境に順応する能力が高く、さまざまな気候や食物に適応できる動物なのです。
 そのオオカミが、なぜ、各地で絶滅し、生息地を狭め、数が減ってしまったのか? それは、オオカミと同じ生活圏に暮らし、同じような食物を取る生き物がいたためです。
 それが、人間でした。

 オオカミは、ヨーロッパや開拓時代の北米などで、家畜を襲うなどの理由で邪悪な動物として虐殺された歴史を持っています。
 日本も例外ではありません。
 江戸時代の頃は、農耕民族の日本人にとってオオカミは、鹿などの田畑を荒らす生き物を駆除してくれる動物として、信仰の対象にもなっていました。オオカミの語源は、大神だという説が一般的になっているのはこのためです。
 しかし、明治時代になって西洋文明が入り、山林が開発され、さらに狂犬病が流行したこともあって、人間に害獣とみなされて駆除され始めたのです。
 そしてニホンオオカミは、1905年に絶滅してしまいました。

 物語の中で悪役になっているオオカミは、私達が、見つめなければいけない負の歴史の一つでもあったのです。

―――――――――――――――――――・―――・―・

 人間が、オオカミを虐殺などをしてきたといっても、すべての人間が、そうしてきたわけではありません。
 自然と共に生きてきたイヌイットや北米の先住民は、江戸時代以前の日本人のように、オオカミをうやまい共生していました。北米先住民の部族の一つに、モヒカン族がいます。彼らは、彼らの言葉でオオカミを意味するモヒカンを部族名にしているくらいです。
 もちろん、このモヒカンは、サッカーのベッカム選手で脚光を浴びているモヒカンヘアーの語源にもなっています。

 このようなことを知ると、物語の中だけだと思っていたオオカミが、ずいぶんと身近な動物に感じると同時に、オオカミに対する思いも少し変わってくるような気がします。

 以前のモヒカンヘアーは、一部のパンクやヘビメタのにいちゃん達がやっている、うさんくさいヘアースタイルだと思われていました。けれども現在は、何の抵抗もなく受け入れられています。
 同じように物語の中のオオカミも、残虐なとか、意地の悪いとか、ずるがしこいといった従来のイメージから、少しずつ解放されつつあるようです。

 それでもまだ、「残虐で意地が悪くてずるがしこいオオカミだと思われていますが、そうではないんですよ」という段階のようです。「街中でモヒカンヘアーの人とすれ違ったからといって、いまさら振り返らないよ」という段階にはきていません。

 オオカミが、他の動物たちと同じように、物語の中で、もっと多くのキャラクターを違和感なく与えられるようになるのは、いつになるのか楽しみです。


━━・オオカミが登場する絵本・━━━━━━━━・━━━・━・


  ○題 名:あらしのよるに
     文:きむら ゆういち
     絵:あべ 弘士
   発行所:講談社   / 1994年10月発行
   サイズ:20 x 15cm  / 48ページ

  □ Amazon.co.jp へのリンク  

―――――――――――――――――――・―――・―・

  ○題 名:オオカミクン(名作絵本復刊シリーズ)
     作:グレゴワール・ソロタレフ
     訳:ほりうち もみこ
   企 画:赤木 かん子
   発行所:ポプラ社  / 2001年12月発行
   サイズ:30 x 22cm  / 29ページ

  *本書は、1991年に福武書店(現ベネッセコーポレーション)
   より刊行されています。

  □ Amazon.co.jp へのリンク  

―――――――――――――――――――・―――・―・

 なんで、いまさら有名な「あらしのよるに」なんだと思われるかもしれません。けれども「オオカミクン」を見つけて読み始めた時に、この2冊は、状況が似ているなと思い、改めて読んでみるのもおもしろいと思ったのです。

 「あらしのよるに」は、何も見えない暗闇の中で、オオカミとヤギが出会う話です。
 そして、「オオカミクン」は、一度もウサギを見たことのないオオカミと、一度もオオカミを見たことのないウサギが出会う話です。

 似ているなと思ったのは、上記のような状況だけです。けれども、ぜんぜん違うのです。
 違うな〜ということを感じながら、2冊を読み比べてみるのも楽しいと思います。

 

2002/3/9

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     ■ わたぼうし語り部コンクール(第10

 

 「わたぼうし語り部コンクール」は、障害のある人たちが「語り芸」を競い合う世界で唯一のコンクールだ。

 コミュニケーションをするために「話す」ということは、多くの人が、もっとも手軽に活用している手段だ。手軽であるために私たちは、話す時に使う「言葉」をいい加減に扱っている時はないだろうか。
 第10回を迎えた「わたぼうし語り部コンクール」は、一つ一つの言葉が持つ力について、改めて考える機会を与えてくれたイベントだった。

 極端だけれども言葉が単なる記号だとするならば、意味や思いを込めるのは、その言葉を発する人の役目になる。
 例えば、騒音などによって普通に話したのでは聞き手に何を言ったのか分からない状態や状況が障害としてあるならば、話し手は、発声に気をつけて声の大きさを考えて、その上で言うべき内容も吟味して、言葉を手渡すようにして話すのではないだろうか。
 舞台上の語り部たちの、時には身をよじって体から振り絞るようにして発せられる言葉は、一つ一つが際立って輝いていたように思う。それは、まさしく手渡された言葉だったからだ。
 手渡された言葉は、物語の内容と共に語り部たちの思いも乗せてくる。私は、その言葉たちに心を揺さぶられた。

 そしてもう一つ、舞台上にさらけ出された語り部たちの体にも感動を覚えた。それは、体の表現活動であるダンスやバレエや舞踏を見た時と同じものだ。舞台上の身体障害者の体は、同情なんてものを跳ね返す力強さとさわやかさがある。きっと、自分で自分の体のそのまんまを受け入れているからだと思う。語り部たちの体は、私たちに対しても、そのまんまを受け入れるようにと迫ってくる。それは、例えば恋人の全部を受け入れて愛することと同じことだ。私達は、身体が不自由だからって関係ないよねとか、みんな同じだよね、なんていうことで中途半端に障害から目をそらすことはできなくなる。関係なくはない。同じなんじゃない。そのことを全部そのまんまで受け入れなければならなくなる。私たちは、そうしなければ語り部たちの正面に立つことはできない。

 緊張感を保った体を持つ語り部たちは、大げさな身振り手振りや抑揚によって言葉を飾り立てることなく、そのまんまの物語を伝えてくれた。
 語りの中に笑いはあっても、語り部たちに遊びはない。客席にも心地よい緊張感が伝わってくる。
 その緊張感は、語りが終わり語り手の顔が少しだけ緩んだ時に、開放感と感動とを引き換えに消えていった。

 

2002/2/6  (MM)

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     ■ いわさきちひろと日本の絵本画家たち展

 

  ○場所:伊勢丹美術館(東京 新宿)
  ○期間:1月31日〜3月5日(2月20日は休館)
  ○料金:一般 800円/高・大学生 500円/小中学生 無料

 2002年9月10日に東京ちひろ美術館が、全館新築してオープンする。その間を埋めるように、今回の展覧会は、ちひろ美術館コレクションに収められた絵本画家の原画が180点公開されている。
 私は、いわさきちひろの作品50点と、日本の絵本画家の作品130点に出会うために伊勢丹美術館に足を運んだ。

 ちひろ美術館館長である黒柳徹子のあいさつ文が書かれたパネルを過ぎるとすぐに、いわさきちひろの作品が並んでいる。
 原画だ! と思う。いわさきちひろが、「紙の上」に描いた線が見える。絵の具のにじみ具合が見える。そんなことに、初めて気がついたような気がする。印刷物では、紙に描かれているということをなぜか意識したことはなかった。

 誰がなんと言っても気に入ってしまったのは、「おつむてんてん」と名付けられた、あかちゃんの絵だ。こちらをまっすぐな目で見つめながら頭を両手でたたいている。
 それからもうひとつ、気に入ったものがある。絵の中に書き込まれたサインだ。すべての絵に入っているわけではないけれど、小さくて、まるくて、かわいらしく「ちひろ」と書かれている。

 でもひとつだけ、そのおだやかな「ちひろ」が、感情をあらわにしているのではないかと思われるサインがあった。1970年に描かれたベトナムの子どもを支援する会」の大きなポスターに書かれたものだ。サイズの大きさから受ける印象があるのかもしれないけれど、フルネームで書かれたサインには、まるみがなく、かわいらしさはまったく感じられなかった。

 このポスターの後に展示されていたのが、戦争を取り上げた「わたしがちいさかったときに」という本に描かれた1967年の作品だ。戦争という言葉に過剰に反応して、いわさきちひろは、何を訴えようとしたのだろうかと考えてしまう人がいるかもしれない。作品を見ていた私がそうだった。でも、そうしていた私の体の力をふっと抜いてくれたものがあった。絵の中の、かわいらしい「ちひろ」のサインだ。これらの絵も「おつむてんてん」と同じなんだと思った。

 「ベトナムのこども わたしたちの日本のこども
  世界中のこどもみんなに 平和としあわせを」

 「ベトナムの子どもを支援する会」のポスターに書かれた言葉だ。ちひろは、この時も「ちひろ」だったのかもしれない。ただ、大きな声で叫ばなければならなかったのだと思う。

 いわさきちひろの作品の後、瀬川康男が描いた「いないいないばあ」のねことくまの絵や赤羽末吉の「スーホの白い馬」、谷内こうた の「なつのあさ」、長新太の「キャベツくん」などの絵を見て回る。何を見ても絵本とは違う楽しさがある。絵本という作品ではなくて、生の絵を通して作者自身に少しだけ近寄ることができたような気がしたからだ。

 最後に、「おつむてんてん」をもう一度見たいと思って絵のある場所まで戻ってみた。
 そこには、おばあちゃんに手を引かれた4〜5歳くらいの女の子がいた。その女の子が、絵をじっと見つめている。そして、「おつむてんてん」と言いながら頭をたたいた。
 私は、すっかり満足して、絵をもう一度見ることをやめて出口に向かった。

 

2002/1/25  (MM)

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     ■ にゃーごの会 (この本だいすきの会・中野支部)

 

 リンリンリン・・・100円ショップで購入したというベルを鳴らして、にゃーごの会・世話人のさくらさん(ハンドルネーム)が、児童館内を一回りする。この場所で、メンバー達と読み語りを始めてから5年が経ったという。子ども達は、顔なじみだ。
 読み手のために用意されたイスの前には、子ども達のために、30センチくらいの高さしかない小さくてかわいらしいベンチが、2列に3つずつ並べられている。
 集まってきたのは、母親といっしょに来た5歳くらいの子から小学校の4年生くらいの子ども達だ。にゃーごの会のメンバーが、持ち寄った絵本を披露する。子ども達から声が上がり、さっさかさと読む絵本の順番が決まった。やけにスムースな流れに、にゃーごの会と子ども達との関係の良さと5年間の蓄積を感じる。

 この児童館で読み語りを始めた当初から、こんなにいい雰囲気があったわけじゃない。
 読み語りをしている最中に、聞いていない子ども達からモノを投げつけられたこともあったという。でも、さくらさんは、言葉を添えてくれた。
 「子ども達からすれば、見知らぬ大人が、遊ぶ場所を奪ったと感じたのかもしれないですね」 
 モノを投げた子ども達を感情的に怒っていたとしたなら、この児童館での読み語りの会は続いていなかったのかもしれない。

 子ども達の出入りは、自由だ。1冊だけ聞いて去って行く子もいれば、遠くの方から眺めていた子ども達が、興味のある話の時に少しずつ近寄ってきたりする。
 話の途中で、思いついたことや疑問に感じたことを口にする声もあがる。けれども、話を聞くという雰囲気が壊れることはないので、他の子ども達から文句の言葉が出ることはない。

 心地のよい30分が過ぎると、ほとんどの子ども達は、さっさと、もとの遊びに戻っていった。さっさと去って行けるのは、また来月になれば、にゃーごの会は来てくれるという安心感があるからではないだうか。 

*この本だいすきの会では、「読み聞かせ」を「読み語り」 と呼んでいます。

 
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