TOP

読み聞かせについて

絵本を探す ブ ロ グ

絵本の読み聞かせ よみっこ

  メルマガ などで 書いたこと 2
■  も く じ (項目をクリックするとジャンプします)                      

 5. 「童話学校」 用チラシ文章  6. 最高に幸せな時間を……!
 3. 「戦争をしてはいけない!」と思うこと  4. 手持ちで紙芝居

 1. ひるねの絵本よみっこ報告  2. 「ラチとらいおん」のよみっこ報告

メルマガなどで書いたこと1 ▲


2006/3/3

もくじに戻る▲

 ボランティアでおはなし会に参加している図書館で、昨年に引き続き、2回目のスペシャルおはなし会を開きました。

 「楽しもう大人も子どもも読み聞かせ」と題したおはなし会に、いらっしゃってくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

 以下は、そのおはなし会で、語りをした時の感想です。
   最高に幸せな時間を過ごすことができました!

 

 無事に、スペシャルおはなし会が終了したのですが、1週間経った今も余韻が残っているような気がします。

 会場に集まっていただいた、80〜90名のすばらしい人たちと出会えたことに感謝をしています。

 「大人と子ども」のためのおはなし会にしたのは、このホームページの目的でもある「絵本や語りは、大人だって楽しい!」ということを分かってほしかったからです。
 おはなし会の部屋に子どもを入れて、大人はどこかに行ってしまうのではなく、大人もいっしょに楽しんでもらいたいと思いました。

 そこで語りは、大人をひき付けるために有効なものだと考えています。語りには、絵本のように、子どものものだという先入観がないからです。

 今回、語りのために選んだ話は、楽しい天狗の話と、泣けるけれどあったかい気持ちになれる老夫婦の話(自作です)でした。

 天狗の話は、大人も子どもも、問題なく楽しめるだろうと思っていました。
 けれど老夫婦の話は、小学一年生前後の子どものことも考えて改稿を重ねたとはいえ、みんなと話を楽しむことができるだろうかという不安がありました。
(もちろん当日は、「絶対大丈夫!」という気持ちで不安は無理矢理振り払いました)

 20分弱の老夫婦の話は、一番最後にもってきました。
 このスペシャルおはなし会は、1時間30分の時間をいただいていたので、語り出しは、1時間を過ぎてからです。
 子どもたちが疲れ始めてくるかもしれないということも考えましたが、それでも、様々な理由から最後にすることは変えませんでした。

 そして当日、メニューは順調に進みラストの語りになりました。

 疲れた人もいるんじゃないかと聞いてみると、「疲れたー!」なんてことを言う子も何人かいました。
 でも語り始めると、その場の雰囲気が、スーっと静かになっていったのです。

 話の序盤で、こうなるとは思ってもいませんでした。
 はったりで振り払っていた不安は、どこかに残っていたでしょうから、なおさら驚きでした。

 会場全部の大人だけでなく子どもも含めた人たちが、じっと見つめてきます。
 あったかい目です。

 でも、私を見ていたのではないのだと思います。私の体を突き抜けて、お話の世界を見ていたはずです。
 私に向けられた目は、容姿を見ているのではない、そんな目だと思いました。

 私は、そんなみなさんの姿に励まされました。
 そして、大きな大きなパワーをもらいながら語ることができたのです。
 幸せでした。

 今改めて感じています。
 よみっこは、人と人がつながることなんだなと。
 言葉を交わさなくても、体が触れあうことがなくても、何かを感じあうことや共有することはできるんだなと実感することができました。

 またいつの日か、このようなすばらしい人たちと出会い、同じような体験をすることができたらいいなと思っています。

 

2004/8/22 (「童話学校」 用のチラシ)

もくじに戻る▲

 日本児童文学者協会が、8月22日に「おとなと子どもの夏の童話学校」と題したイベントを開催しました。
 このイベントの中で「よみっこ」をする機会をいただき、来場者のためにチラシを作りました。このチラシのために書いたものが、以下の文章です。
 読み聞かせをしてみよう!

 

 よみっこは、「読んで聞かせてやる」というように、読み手が上に立ったり義務でやったりという形のものではありません。読み手も聞き手も、大人も子どもも、いっしょに楽しむ「遊び」のことです。
 誰もが自由に楽しめるものが、よみっこです。すてきな本を間にはさんで、人と人が向き合うだけです。

 よみっこは遊びですが、読み手として大切にしたいなと思っていることがあります。といっても、「聞き手に寄り添い、本に対する思いを大切にする」ということだけです。
 誰もが、すぐに始められます。今日から「よみっこ」を、楽しい時間の過ごし方のひとつに加えてみませんか!
 子守唄のように

 

 よみっこのスタイルは人それぞれで、人の数と同じ数のスタイルがあるのかもしれません。
 よみっこは、アナウンサーや役者のように、声が通って、活舌がよくて、美しい声でおこなわれるものだけではないからです。

 以前、図書館でのおはなし会で、ボランティアで初めて読み聞かせをするという女性といっしょに、よみっこをしたことがあります。彼女の声は、息声で声量はなく、もちろんアナウンサーや役者の読み方とはまったく違うものでした。
 けれども、未就学児童5〜6人だけのおはなし会で、彼女のやわらかな声は、とても心地がよかったのです。
 子どもたちは、静かに語りかけるような彼女の声を聞きながら、心も体もリラックスをしているように感じました。3〜4歳のひとりの男の子などは、気持ちよさそうに、途中からこっくりこっくりと居眠りを始めていました。おそらく、彼女の穏やかに声に安心をして、絵本を読んでいる声が子守唄のように聞こえていたのかもしれません。

 あとで彼女にうかがったところ、読んだものは、一番大好きな絵本だということでした。
 自分が感動した大好きな絵本を子どもたちに届けようとしている彼女と、その彼女の気持ちの何かを感じ取って絵本に見入っている子どもたち。そんな様子をながめながら、その場にいた私も、何とも言えない幸せな気持ちになっていました。
 大人だっておもしろい

 

 紹介したようなよみっこは、彼女のスタイルです。私にはできません。
 性格も性別も声色も違う私が、無理に彼女のマネをすれば、聞き手が気持ち悪くなるだけだと思います。
 ですから、それぞれの人たちが、それぞれのよみっこのスタイルを作っていけばいいと考えています。

 よみっこは、自由なものです。本で遊んで、楽しい時間を過ごすだけのことです。
 それは、大人だって子どもと違いはありません。
 読み方などといった技術的なことは後回しです。
 とにかく、声に出して絵本や童話を読んでみましょう!
 そうすれば、大人も自分自身の大好きな絵本や童話を、たくさん見つけることができるはずです。そしてよみっこが、大人にとっても、ほんとうに楽しい時間になるはずです。
 みんなでよみっこを楽しみましょう!

 

2003/12/4 (MM)

もくじに戻る▲

   手持ちで紙芝居

 

 以前に少人数の前で紙芝居をした時、立って演じたために聞き手との距離を感じて、壊れた「よみっこ三角形」が現れてしまったことがありました。
 そのようなこともあって、紙芝居舞台を使わないで、手持ちで紙芝居をやってみることにしました。

 最初、紙芝居をひざの上にのせることを考えました。けれども、読み手を聞き手が一重で取り囲める4〜5人くらいであればいいのですが、それ以上の人数になると、イスに座っていてもひざの高さでは低すぎます。
 結局、絵本のよみっこと同じように、手で持つことにしました。

 紙芝居の場合は、場面を引き抜く方向の関係で持ち手は左手になります。
 片手で持っているのでは不安定だろうと思うかもしれませんが、右手を場面を引き抜くためだけに使うのではなく、常に紙芝居に添えて、重なりの乱れを整えたりするようにすれば問題はありません。

 紙芝居舞台の雰囲気は大好きです。幼い頃に見た時のように、舞台の中に入った紙芝居は、やっぱりいいな〜と思っています。でも、手持ちで演じたことによって、読み手としておもしろいなと思ったことがありました。

 一つは、紙芝居舞台のある場所に固定されることはないので、自由だなと感じたことです。それは、実際に動きたいのに動けないということではなくて、気持ちの問題です。みんなに寄っていこうと思えば、いつでも近寄れるという気持ちです。でもほんとうは、紙芝居舞台を使っていても、そういう気持ちにならないといけないのだと思っています。

 もう一つは、場面を引き抜く方法についてです。紙芝居舞台を使っている時は、引き抜くスピードを変えたり、途中で止めたりということに限られますが、手持ちの時は、場面を持ち上げたり下におろしたりして場面を入れ替えることもできます。
 上にポーンと持ち上げたりすると、ハデな感じになりますので、盛り上げる時などにやると効果的です。でも、雰囲気に合わなければシラケルだけです。ちゃんと、聞き手と紙芝居に寄り添わなければいけませんよね。

 

2003/9/17 (MM)

もくじに戻る▲

 「戦争をしてはいけない!」と思うこと

 

 戦争を考えることは、原爆が落とされた日や、戦争が終わった日だけではありません。「戦争をしてはいけない!」と思うことは、いつでもできますし、いつでも忘れてはいけないことだと思います。
 大きな動きがあった時に、「何を思ったって無駄さ」と諦めてしまうことが一番よくないことです。とにかく最初は、思うことが大切だと考えています。思うことは、行動を起こすための種であり、第一歩であるからです。

 「何も行動を起こさない奴が何を言いやがる!」と言う人がいるかもしれません。いいんです! ほっとけばいいんです!
 そんなことを言いながら、知らず知らずに大きな動きに流されて、戦争に加担してしまうようになるよりは、よっぽどいいのです。
 戦争を推進する人達は、「何をやったって無駄さ」「思うことなんて意味ないよ」と諦めてしまった人達を引き込もうとします。そんな動きに、絡めとられないようにしなければいけません。

 私は、フォークシンガーの加川良さんが大好きです。
 加川さんの歌に「教訓1」という歌があります。
 少しだけ歌詞を抜粋します。

…「教訓1」………………………………………………………………
命は一つ 人生は一回 だから命を 捨てないようにネ
あわてるとついフラフラと 御国のためなのと言われるとネ
(略)
死んで神様と 言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよネ
きれいごとならべられた時も この命をすてないようにネ
(略)
……………………………………………………………………………
 加川さんの歌は、いいです。
 機会があったら、聞いてみてください!

□「教訓1」Amazon.com へのリンク  

 

2003/5/24 (MM)

もくじに戻る▲

   「ラチとらいおん」の よみっこ報告

 

 私が、参加させてもらっている月1回の児童館でのよみっこは、だいたい30分間でおさめます。今月は、2名で5冊の絵本を読みました。その中で私は、「オレ・ダレ」と「ラチとらいおん」の2冊を3番目、4番目と続けて読みました。
 その日私は、読む絵本を最後まで絞り込むことが出来ませんでした。そこで、読みたい絵本を10冊持っていって、子どもたちに選んでもらったのですが、選んでもらっておきながら「あちゃ〜、きびしい繋がりだな」と思っていました。でも子どもたちは、関係ないですね。しっかりと、両方の絵本を楽しんでいたようです。

 最初に読んだ「ラチとらいおん」は、バックから出したとたんに読むことが決まりました。表紙を見た女の子が、「あっ、これ知ってる。これ読んで、読んで!」で、即決定です。
 さすがに、人気があるんだなと再認識です。

 読み手は、ヒザくらいの高さがある木の箱に座って読んでいます。「ラチとらいおん」を読み始めると、1人の子どもが私の足元に仰向けに寝転がりました。しばらくすると、私の足元には3人の子どもが、寝転がっていました。
 そういったことは、いつもはぜんぜん気にしないし、そんな姿が大好きです。けれどもその時は、「オイオイ『ラチとらいおん』は、そんなにリラックスして見るもんか?」と思って3人の顔を見てみました。すると足元の3人は、まっすぐにジーッと絵本を見つめていたのです。思わず私は「すまん、誤解していた!」と思って、わずかに絵本を下に傾けました。
 改めて、読み継がれている絵本の力と、子どもの姿に感動した瞬間でした。

□「ラチとらいおん」紹介  

 

2003/5/6 (MM)

もくじに戻る▲

   ひるねの絵本のよみっこ報告

 

 いつも自転車に乗って、よみっこをする児童館に向かいます。そしてこの時、ペダルをこぎながら自分の気持ちを整えるのが習慣になっています。
 でもこの日は、自転車に飛び乗る前からハイテンションが続いていました。たまたま仕事が立て込んで、忙しさの只中にいたのです。それも、グッタリではなくイケイケ状態でした。テンションを高めるのはいいのですが、この日の状態は、ちょいと危険です。聞き手を無視して、暴走する可能性をはらんでいます。
 でも児童館に着いたとたんに、一人の女の子から「あっ、にゃーごの会のおじちゃんだ!」という声をもらいました。「おじちゃんじゃないぜ!」という思いが、いかれた頭を少しだけかすめたものの、この一言で暴走は食い止められました。

 「ひるね」の絵本は、春を意識して選んだものです。
 特に「ひるねむし」は、蝶になった見開きのページが感動的で、絵本から春がこぼれてくるような感じが気にいって選びました。

 ところが、ところがです。
 「ひるねむし」が、とんでもない場所で気持ちよさそうに寝ている場面、場面で、大受けしてしまいました。ある程度はと思っていたのですが、あれほど受けるとは思っていませんでした。

 そしてもう一つ、意外なことがありました。
 「ひるねむし」を読み終わると、一人の女の子が、「『かぜのこ ふう』みたいだね」と言ったのです。「かぜのこ ふう」は、2月によみっこした絵本です。

 二つは、まったく違う内容の絵本です。
 でも彼女の中では、重なる部分があったのです。それは、飛ぶということでした。
 教えてもらったのは、それだけです。
 「ひるねむし」の中で、蝶になって飛んでいるシーンは、見開きの2ページだけです。
 勝手な思い込みですが、「ひるねむし」と「かぜのこ ふう」の飛ぶということは、感覚的な部分での入り口で、二つの絵本から受け取った思いの何かが、その先で結びついているのではないかなと思うのです。
 知りたいですけど、わからないですね。
 でも彼女が、二つの絵本を気に入ったことは確かだと思うのです。どんな形でも何かを感じてくれたとしたなら、すばらしいことだと思います。

 この日は、年度替りで初めて出会う一年生がいました。その中に、何かがあって大泣きしていた女の子もいました。
 でも、オープニングの紙芝居が始まると、ぴたっと泣き止んでしまいました。私は、観客として紙芝居とその女の子を見ながら、すごいなーと思っていました。

 さらにこの日は、子どもたちから、もう一つパワーをもらっています。
 帰ろうとして自転車にまたがった時、初めて出会った一年生の男の子が、声をかけてきました。
 「なんで、あんなにおもしろかったんだろー?」
 この言葉は、私の宝物として永遠にとっておくことにします。

□「ひるねむし」紹介  
 
  「メルマガ&ML」のページに戻る▲

このページの先頭に戻る▲

TOP


Copyright © 2002-2006 [chaury] All rights reserved.